駐在女子はゆるく生きたい

Tips For a Life In China

10年前の私が書いた「留学帰国前夜の日記」が最高にエモいから読んでほしい

チャオ、りんこです。学生時代は中国ではなくイタリアへ留学しておりました。

 

昨今、「留学なんて行っても意味がない」という論調を目にすることが多く、少し悲しくなっています。「日本で学べない奴が海外へ行っても意味がない」というのは至極まっとうな意見ですが、同時に「ちょっと行ってみよう」くらいの気持ちでいく留学に意味がまったくないとも思えないのです。

 

そんな中、古いパソコンを整理していたら、留学から帰国する前夜に記した自分の日記が出てきました。

ひとりの学生が感じたことを拙く紡いだ文章から、留学が確かに彼女に与えたのであろう強烈な印象がひしひしと伝わってきて、自分の文章にもかかわらず途中から泣いてしまったほどです。

 

そういえばこの日記も、しゃくりあげながら書いたことを思い出した。

なんてエモいんだ、過去の自分。

 

というわけで、10年前の私が書いた日記です。当時たしかに感じていた留学の意味が、なんとなく伝わればいいなと思います。

どうぞお付き合いください。

 

 

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さて、帰国前日です。

 

もちろん今は「帰りたくない」100%です、正直。 いや、そうでもないかな。 ちょっと前までは、100%だった。 今は90%くらい。 だってどうにもならないからなあ。 でもこうやって「帰りたくない」と思える留学にできて、本当によかった。 後悔があるから「帰りたくない」のではなく、この場所が好きで、いっしょにいたい人たちがいて、帰らないでって言ってくれる人たちがいて、だから帰りたくない。

 

イタリアの良い面も悪い面も、たくさん見ました。 滞在10か月目にして、やっと悪い面を見られるようになった。 シチリアで、ダメな若者たちをたくさん見てやっとわかった。笑

イタリア人のインテリ層が「イタリアを出たい」という気持ちもわかった。

 

自分もイタリアに永住したい、とは思わない。 この国は、人々が「これでいいや」と思ってる。電車の遅延とか、ベルルスコーニの政治復帰とか、進まない工事とか、就職難とか、全部笑いのネタにして、まあいいや、って思ってる。 だから私が見てきた友達の中には、7年も8年も大学に残ってる人や、逆に3年で即効卒業して早く日本に行きたいって言ってる人がいっぱいいる。

 

イタリアという国は素敵だけど、とても貧しい。

街は他の、たとえばパリとかマドリッドとかと比べたら、とっても汚い。 ホームレスとか物乞いが道端で寝てる。 黒人がパチモンのブランド品売ってる。 道端で「ニーハオ」って言われたり、一回だけだったけど、中指たてられたり、一回だけだったけど、なんか中国人死ね的なこと言われたりもした。

 

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正直今、「外国人として生活すること」に疲れている自分は確かにいる。 いつだって視線を集めてしまうから。特に日本人であることは、とても疲れる。

 

じゃあ、なんで自分がイタリアを選んだのか、なぜ自分がここにいるのか、そして、悪い面をこれでもかと見ても、どうして帰りたくない、と思うのか。

 

私の友達のイタリア人はよく、「イタリアはいい国だけど、人々がだめ」という言い方をする。

でも私は、その「イタリアの人々」が好きで、「もうりんこも立派なイタリア人だね」と言われることが最高にうれしい。

 

イタリアの人たちはまず、優しい。とても人懐こい。

道端で道聞いたら「いっしょに行ってあげるよ!」って、電車で会ったら(たまに中国人と間違えられるけど)「どこから来たの?」って言ってくれる。

BARは二回目からは常連。すぐ顔を覚えてくれる。私が毎月家賃を払っていた銀行の兄ちゃんは、「毎月大変だね」って、もう何も言わなくてもぱぱぱってやってくれる。

大学のBARのおじちゃんたちは、私が空手強いという冗談を本気にしているのかなんなのか、会うたびに「オス!」と言っておじぎしてくれる。

 

私の友達もみんな優しい。イタリア語のテスト勉強で苦しんでいたときは、みんなが手伝ってくれた。あーでもない、こーでもない、と、答えをみんなでめちゃくちゃ議論して、添削してくれた。

イタリア語がしゃべれないなあ、上達してないなあ、なんて落ち込んでると、背中をばんばん押して応援して、励ましてくれた。

 

みんな、人の気持ちにとても敏感。

ちょっとおセンチな気分のときは、すぐ気付いて、「今日変じゃない?」とか「考えすぎたらだめだよ」とか言ってくれる。私が何も言ってないのに。自分が気付かないくらいの気持ちの変化でも、すぐ気付く。

 

イタリア人は確かに空気読めないけど、だからって気持ちに鈍感とかじゃないし、誰にでも悩みをぶちまけるとか、そういうことはしない。とても繊細。

友達いっぱいに見える友人も、「大事な話をする友人は3人くらいしかいないよ」なんてさらっと言う。

 

みんなが持ってるイタリア人のイメージは、表面的なものだけだと思う。

 

それから、私は「イタリアの人々」という言い方をするけど、イタリアには、「イタリア人」はいない。みんな自分の故郷が「自分の国」。

 

南の人はミラノの人がだいきらい、北の人はナポリとかローマをばかにする。ローマでも、ナポリの方言を聞くとものすごくばかにする。同じ地域でも上と下がある。わざと地図に載せなかったりしちゃう。

 

この人々の性格には良い点も悪い点もあって、この性格のせいでイタリアの発展が留まっているというのもわかる。でも私は嫌いになれないんだなあ。

 

みんなが「うちにおいで!いいところだから!何もないけどいいところだから!」って自分の街をアピールする。

 

シチリアに行ったときは、全然有名じゃないイスピカというところの近くのおばあちゃんちにずっといたけれど、おバカな人々は多かったにしろ、とても素敵な街だった。

 

案内してくれた友人、家族は、「こんなとこなんもないよ」とか言うのに、いざ案内してくれるときは、めちゃくちゃイスピカを自慢してた。すごくおもしろかった・・・この街を愛しているんだなあ、というのが伝わる。

 

ここまでの話は、あくまで私の視点から見たイタリア。ほんの10か月住んだだけの私から見たイタリア。 私はこの国に「外国人」として住んだから、客観的に見られることがいっぱいあって、そうやって見てきてたイタリアのことを、今こうして文章にできることはとてもうれしい。 観光しただけではわからない、イタリアの姿。

 

何度も言うけど、悪い面はいっぱい見てきた。 でも私はイタリアがすき、と、それを確認できた。そういう留学でした。

 

留学を終えて思うのは、この経験は今しかできないということ。

経験、つまり、こうやって一つの国を客観的に見ること、外国人として生活すること、母語ではない言語を遣って生活すること、そして、ヨーロッパの各国に気軽に行けるということ、比較できるということ。

 

それから、本の中でしか見ていなかった美術品や遺跡がすぐ近くにあるということ。ほとんどゼロの状態から、友人作りをスタートさせること。そうして出会ったかけがえのない友人たちと、今、しばらく別れること。

 

これらの全ての経験によって、自分がどれだけ成長できたか。

 

留学は言語のためだけではない、と最初から思っていて。

自分が成長したくて、自分の目でいろんなものを見たくて、留学したいと思っていました。

 

そして今、自分が、想像以上にいろんなことをこの留学から学んだ、と実感できる。

今とても別れが寂しい。「もしかしたらもう二度と会えないかもしれない」友人たちとの別れ。

 

でもこの別れも自分の人生の中でかけがえのない経験になるのでしょう。 そう考えられるようになったのも成長かもしれない。

留学前の私だったら、こんなふうに考えられなかったと思う。

 

今この日記をここまで書いて、「帰りたくない」から始まった文章でしたが、今、その気持ちはまだ残っているけど、でもなんだか、「帰ろう」という気持ちです。 

 

ぼんやりだけど、いろんな目標ができた。 目下の目標は、お金をためてまたイタリアに来る、なんて単純なものだけど、でも、私にとっては大事なことです。

 

憂鬱になる卒論も、就活も、全部自分の将来のため。イタリアに関わっていたいという気持ちはどちらにも絡んでいるから、がんばれるかなーと思う。思おう。

 

大好きなイタリア、大好きな友人たち。また来るよ。